RubyKaigiに参加しませんでした #rubykaigi
スタッフ、スピーカー、参加者の皆様。
RubyKaigiおつかれさまでした!!
とてもいい雰囲気がTLから伝わってきてほんわかしてついカッとなって参加しませんでしたエントリーを書いてみる。
RubyKaigiとは自分にとって何なのか
RubyKaigiとは自分にとって何なのかよくわかんない。
これが今回参加しなかった理由のひとつなんですが。
RubyKaigiの開催がアナウンスされてからずっと考えてますがなんとなくひとつの答えが出た気がする (後述) 。
なんで参加しなかったのか
開催されるまでにいくつか考えるポイントがあったと思います。
- 開催アナウンス
- CFP
- LTのCFP
- チケット販売の各パート
これらのタイミングで "本当に参加しなくていいのだろうか" と散々迷いました。
結果参加しませんでした。
参加しなかった理由はいくつかあって、それらの根っこにあるのは "一度終わってReBorn*1した" ということだと思う。
Ruby会議からはたくさんのものをもらっていて、もらったものをきちんと吸収したからこそ今の自分がある。
RubyKaigiでは自分から何かを提供したいなと強く思ってました。
でもいざCFPを目の当たりにしても何も出ないんですね。
本当に何も出なくて。
日々成長しているはずなのに今自分にしか出せないものが無くて本当に絶望した。
この絶望度合いは自分を見直して何かを成せばいいとして、他にもRubyKaigiに対してできることはあるはずなんですよね。
例えば当日スタッフに手を上げて少しでもできることをとにかくやる、とか。
(誰でも当日スタッフがやれるとは思わないけどお客さんとして参加したくなかったという意味で)
一般参加して何かをもらってどこかに返すとか。
ただ参加するだけでも何かできるんだけど、それだとRuby会議時代と関わり方が同じになっちゃう。
なので参加しないでRubyKaigiを外から観測して何が見えるか見てみようと思った。
(参加しないでも得られることがあるんじゃないかという発想もあった(ustとかTLとか参加した人たちから話し聞くとか)けど今となっては甘い考えでした...)
大事なもの
当初RubyKaigiに参加しなくても今まで"この人すごいなー"と思っていた人とはひと通りお話できるようになっていて、いつもとあんまり変わらないんじゃないかと思ってた。
でもですねー、やっぱRubyKaigiっていう場は特別なんだなと思いました。
各種ソ〜シャルなんちゃらに流れてくる写真に写っているおっさん達の笑顔が素敵すぎる。
僕はRubyおっさんたちが大好きだけど、RubyKaigiっていう場になるとこんな良い笑顔をするおっさん達になるっていうのを知ってもっと大好きになった。
(僕も外から見るとこんなおっさんに見えるのかなー)
色んなカンファレンスというかそれ系のイベントあるけど、得るものって具体的なものからふわっとしたものまでたくさんあって、その中でRubyKaigiって自分の中で特別だったんだなと感じました。
RubyKaigiが終わってみて感じたこと
"終わった後のみんなの反応がぽかぽかしたものに溢れている" というのを見てぽっかり心に穴が空いたようなものでした。
RubyKaigiって技術的なことをインプット、アウトプットするだけの場じゃないというのを改めて痛感した。
かくたにさんか誰かがRuby会議を年の変わり目みたいな表現で言っていたのを実感した。
RubyKaigiがあって、これまで1年間を総括して、次の1年をどう戦うか決める納めの儀式なところって多分にあると思う。
自分にとってRubyKaigiって自分が何かをして誰かのRubyKaigiの一部になりたいっていう気持ちがすごく強いけど、その前にちゃんと自分に対してRubyKaigiしないといけないんだと思った。
次回*2はきちんと自分に対してRubyKaigiしようと思いました。
おわり